【110421 元GE技術者 菊池洋一氏インタビュー by IWJ 岩上安身氏】サマリー
岩上安身氏 「元々、建設関係でお仕事をされていて、最初から原子力に関心があったわけではなく、色々な御縁で携わり始めたように伺ったのですが、初めのほうはそれほど危険性を感じていなかったという事のようですが、1つはオイルショックがきっかけだという事のようで、その辺のお話から」
菊池洋一氏 「ひとつは僕が尊敬していた人、僕に仕事を叩き込んでくれた人が広島出身だという事。その人が原子力の平和利用は男冥利に尽きるという事で熱心に口説かれて、原子力の世界に飛び込んだ。
その後、原子力のほうでキャリアを積み、ゼネラル・アトミック(GA)という核融合なんかで有名な会社に。高温ガス炉を作っていたりしていた。GAは日本では有名ではないが、アメリカの2大メジャーのシェルとガルフが共同出資をして作っている会社なので相当強力なバックで、そこが核融合や高温ガス炉をやっていた。
そこにGEから人がスカウトされ、ゼネラルマネージャーをしていた人の関係で入社した」
岩上 「GEと言っても最初にお仕事されていたところはGETSCO(ジェスコ)と」
菊池 「ゼネラル・エレクトリック・テクニカル・サービス・カンパニー。これは原子力以外のもの、軍需産業や一般的な家電や色んな部品も手掛けていて、GEそのものは巨大な企業で、そこは全部ジェスコに入る。
そのジェスコの原子力事業部の極東支部(ファーイースト)の東京ブランチ(東京支社)のプランディングスケジュールスペシャリスト(企画行程のスペシャリスト)という所で仕事をし始めた」
岩上 「73年から80年まで7年6カ月。ちょうどオイルショックの時代。これも非常にきっかけになったと?」
菊池 「散々、日本の石油は湾岸諸国に牛耳られたので」
岩上 「石油がない。エネルギーを自前で確保できないというあの時の悲哀、或いは不安というのが?」
菊池 「それははありましたね」
岩上 「日本はある意味、パニックで右往左往した。そういう時に原子力があれば、と思われた?」
菊池 「そう・・・ですね。そうだ、そうだと説得されてそうなんだろうなとかそんな軽い感じだった。ただ、入ってすぐに技術的に駄目だという事に気付いた。辞めようかと思ったがアメリカの方から指示が来ていたようでなかなか会社が辞めさせてくれなかった。それで東海と福島をやった」
岩上 「日本で原発を最初にやったと言われる東海村の一号炉?」
菊池 「いえ、2号炉です。1号炉は炭酸ガス炉。2号炉が軽水炉」
岩上 「軽水炉を手掛けてそして福島も?」
菊池 「直接やったのは福島も6号機だけ。それも最後の一年ぐらい。それが終わった後、何故か古い原子炉の改造を担当する事になって、それで大変な思いをした」
岩上「入ってすぐに技術的に駄目だと気付いたという話、それはどういう意味でそう思われたのか?GEが素晴らしいと言われているけれども大したことないという意味か?GEという会社の商品が駄目なのではなくて原子力・原発という技術自体が根本的に非常に制御する事が難しいという意味なのか?」
菊池 「たぶんGEが駄目だという事でしょう」
岩上 「GEの技術が大したことない?なるほど。色々欠陥が見えていたという事?」
菊池 「うん、目一杯。最初、50ヶ所ぐらい直さなければいかんとか提言したんだけども、将来のプラントはこうするんだという完成図が上がってきて、それを見たら僕が指摘したところの大半が直っていたから、それは考えてくれたんだなと思ったけれども」
岩上 「非常に技術的に未熟なところがあると。でもその未熟な段階のものを日本は受け入れようとしていた。日本は技術的に優れているとよく言われるが、考えてみると原子力を使っている先進国の国々の中で自前でこうした技術を立ち上げた事のない国は日本だけなんですよね。
推進派の人たちが何か日本の技術はすごいとか、スリーマイルをバカにしたような事を散々言っていた。ずっと日本のほうがオペレーションが上手だとかチェルノブイリと型が違うとか、日本の技術者の方がもっと優秀だとか言っていたが、日本の技術がそれに比しても、それは借り物なのでどうかと思うが、その辺は?」
菊池 「福島6号機をやってる時に、もし新しい炉が日本の原子炉メーカーが作ったものだったら東電は採用しないとどっちにしろ言っていた。アメリカはそれなりに実力がある。どういう壊れ方をするのかというような暴走試験をする。それは散らばった配管の状況を見て設計し直すというような事を日立や東芝は出来ないだろうという意味で言っていると思う」
岩上 「じゃあ、東電が言っている事というのは、菊池さんがGEの技術は未熟だと言われたけれども、粗は目立っていたけれども最悪の事態をダイナミックに実験できるという事を考えるとやはりまだマシだった、という事なんでしょうね」
菊池 「GEがどこまで丁寧に実験しているかは話でしか知らないが、日本のメーカーとは違うという事は感じた。しかし間違いなく色んな欠陥があった。
最初に感じた事は原子炉を見た時、これは日本人が設計する炉じゃないなと。要するに地震国に建てる原発じゃないな。スカートから22Mぐらいあるわけだから(*)」
(*)〈個人ブログ〉SENZA FINE様より
「原子炉スカートと、断層を横断する一次系配管が心配だ」2005年6月10日〜原子炉のスカートの説明をする菊池さんの写真掲載。
スカートというのは下部の円形のぺデスタルという基礎。その円形のぺデスタルの上にどんぐりの底に輪っかとしてセットする。
それは日本の原子炉メーカーでちゃんと付けたものを持ち込んでくるのだが、底の部分をスカートと言う。その名の通り薄い。
原子炉圧力容器は15センチ18センチと結構厚いが、それに比べたらスカートとしか呼びようのないもの。それが間に挟まっている。それが直下型で下から突き上げられたら、ひとたまりもない」
岩上 「土地の特性を考えた使用というのも考えていかなければいけないが、でもアメリカで考えられ、アメリカで実験が繰り返され、アメリカで考えたリスクであって、ダイナミックであってもどこか落ちている部分があるんですね」
菊池 「だから、しょせん地震に対しては無理な形をしているので原子炉圧力容器というのはRPVぺデスタル(*)の上に袴を通して立っている。
(*)参考:東京電力PDF 6号機 原子炉本体基礎の点検・評価についての補足説明
しかし、地震がきたときには上部がグラグラ揺れ、それを揺れさせないためにRPVスタビライザーが下の方に付いていて、倒れないようにするもの。でもこれが変に突っ張ると格納容器が壊れるからそれをどう補強するかというのを去年、柏崎刈羽のそれに反対する科学者の集まりがあり、メンバーになっていた。なかなか技術が冠されていない。単に上が揺れるのでスタビライザーがあるがそんなもんじゃない。
原発で一番怖いのはスカートが壊れる事ももちろんだが、直下型地震に関しては必ず壊れるという自信がある」
岩上 「絶対に耐えられない、という自信?」
菊池 「うん。原発推進者たちはちゃんと計算している、と言っているが、真下寄り少し斜めに突き上げてくる地震にそんな薄いスカートが耐えられるわけないと思う。重さの事をみんな考えない。何十キロ下から突き上げてくる地震のエネルギーは炉の重さなんてどうってことはない。保安院も計算したから大丈夫と言うが、その計算が全然信用できない。
福島原発建設中にも自信があった事があり、その時にいたアメリカのエンジニアたちは青くなってガタガタ震えていた。そんな国のものであるという事」
岩上 「スカートという台座が非常に脆い。それは根本的な欠陥でそれ以外に支えがない」
菊池 「僕は地震との関係で危険を感じる。阪神淡路大震災の時の40センチ角の更迭の橋桁の柱が脆性破壊(*)を起こした。
(*)脆性破壊とは、破壊に至るまでにほとんど塑性変形を伴わずにパキっと割れてしまうイメージです。亀裂は高速に伝搬し、破面は平滑なのが特徴です。ガラスや陶器などの脆性材料はもちろん、通常は延性破壊を起こす金属材料でも低温では脆性破壊を起こすこともあります。
脆性破壊が原因となって起こった事故として有名なものは、第二次世界大戦の最中、アメリカ合衆国で大量に建造された規格型輸送船"リバティー船"の話が有名です。
【リンク】⇒CAE技術者の為の情報サイトより「材料強度学:脆性破壊」
厚みが5センチでした。5センチと言えばスカートとあまり変わらない。5センチぐらいの厚みの柱がグニャッと曲がるのではなくて凄いエネルギーが突然襲ってくるから脆性破壊を起こしていた。
そういうものは実際に地震に襲われてみないと分からない。ただ、阪神淡路の地震でそういう実績がある。
東海村の時にはスカートを薄く作りすぎたという連絡が現場から入った事がある。それが許容範囲内で収まっているのか、作り直さないといけない薄さなのか、僕がGEに入ったばっかりの頃でその辺をチェックするような立場になかったので、聞いているだけだった。